小倉ヒラクの「発酵トラベルノート ~旅と醸しのおたのしみ~」

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【第36回】単なる乳酸発酵ではない!ぬか漬けに潜む脅威の微生物多様性

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小倉ヒラク
発酵デザイナー
「見えない発酵菌たちのはたらきを、デザインを通して見えるようにする」ことを目指し、東京農業大学の醸造学科研究生として発酵を学びつつ、全国各地の醸造家たちと商品開発や絵本・アニメの制作やワークショップをおこなっている。『てまえみそのうた』でグッドデザイン賞2014受賞。自由大学や桜美林大学等の一般向け講座で、発酵学の講師も務めている。2015年より新作絵本『おうちでかんたんこうじづくり』とともに、「こうじづくり講座」を全国で展開中。著書『発酵文化人類学 微生物から見た社会のカタチ』(木楽舎)が絶賛発売中!

味噌汁飲んでますか?発酵デザイナーの小倉ヒラクです。

編集部から「最近、ぬか漬けが気になります」とリクエストがあったので、今回のテーマはぬか漬けについて。

 

最初に言っておくと、今回の内容は結構難しい!

一応、最低限の補足をしながら説明はするけど、背景になっている発酵の科学的原理をもうちょい知りたければ拙著『発酵文化人類学』をご一読されたし。

 

 

そもそもぬか漬けとはなんだろうか?

 

「そもそもぬか漬けとは何か?」

 

これは大変に難しい問いだ。哲学的問いと言っていいレベルの。

「味噌は大豆を原料に麹をスターターにして発酵させたもの」

「ヨーグルトは牛乳を乳酸発酵させたもの」

 

というように、

「ぬか漬けは糠と塩を混ぜた床に野菜を漬け込んだもの」

と説明しても、ぬか漬けの本質は見えてこない。

 

なぜか?原料の糠の味がそんなに大事じゃないのと、そもそも何の菌で発酵しているのかよくわからないからだ。

 

一般的にぬか漬けは「植物性乳酸菌による発酵食品」と言われたりするが、実はそうではない。乳酸菌以外にも酵母や各種細菌類などの多種多様な微生物が入り混じりながら独特の風味をつくっている複雑系の発酵によってできている。

 

つまり、

ぬか漬け=複雑系の発酵エコシステム(ぬか床)から生まれる謎すぎる漬物

なんだね。では、まずぬか床の発酵プロセスから見ていこう。

 

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【A】糠と塩と水を混ぜ合わせて漬け床のペーストをつくる

【B】そこに野菜の切れ端などを捨て漬け*する

*床のなかに菌を導入する&床の中の菌のエサにする。この野菜は食べない。

【C】数日〜1週間ごとに捨て漬けを繰り返し、床を熟成させる

↓ 1〜2週間

【D】切った野菜を漬け込み始める

【E】1ヶ月ほど経つとぬか漬けっぽいものができるようになる

【F】3〜4ヶ月目にこれぞぬか漬け!という本格派ができるようになる

☆仕込みをしたら、毎日ぬか床をかき混ぜる

☆定期的に糠と塩を足してぬか床のコンディションをキープする

☆旨味を足すために昆布や鰹節を隠し味として漬け込んでもOK

 

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というプロセスを経てぬか床が育ち、ぬか漬けをエンジョイすることができるんだ。床の原料が糠と塩だけなのでシンプルかと思いきや、メンテナンス(原料を足す/かき混ぜる)が難しく、ぬか漬けをおうちで楽しむのはアクティブ&ハードワークなシティガール&ボーイには正直難しい!(旅の多い僕も何度も失敗している)

 

 

ぬか床らしさはどのように生まれるのか?

さて。

ここまでの概要の話は一般の本にもWEB記事にも載っている。

 

なので、ここからが本題。スタートから熟成が落ち着く3〜4ヶ月のあいだ、ぬか床の中では起きているのであろうか?

以下、A〜Eのプロセスを時系列で解説してみようではないか。

 

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【A〜C:スタート期】<目安0〜30日>

・ぬかの中にいる乳酸菌、酵母、各種細菌類が活動スタート

・乳酸菌がぬかの糖分を食べて増殖、乳酸が増えて床内のpH値が4.6〜4.8(割と酸性)に下がる

・酸によって各種細菌類の数が減り、乳酸菌が優勢になる

※酸性の環境のなかでは普通の微生物は生きられない

 

☆スタート期では実は乳酸菌は少数派。細菌類が過半を占める

☆捨て漬けは、野菜についている乳酸菌をぬかの中に導き、野菜自体を微生物のエサにするために行う

 

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【D〜E:成長期】<目安15〜60日>

・乳酸菌が元気になってpH値が4.5以下(酸性)を切ると乳酸菌王国になる

・同時に酵母類が増殖し、かぐわしい香りが生まれる

 

☆この時期に発酵に関わらない酵母や細菌類がいなくなる

☆pH4.5以下になると乳酸菌の種類が増えて酸味が複雑になる

 

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【F】安定期<目安60〜120日>

・漬けた野菜由来の細菌類が棲み着く

・ぬか漬けっぽい複数の乳酸菌たちのバランスが安定する

・乳酸、酵母、細菌類が共生発酵して熟成香が生まれる

 

☆pH4.5以下(酸性に結構傾く)になると乳酸菌の種類が増えて酸味が複雑になる

 

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…というように、時間の経過とともに微生物の生態系が複雑化していって、ぬか漬け独特の風味が生成されていく。いくつか論文を調べていくと、乳酸菌と並んでぬか漬け独特の風味をつくっている微生物として、カンジダ種の酵母の働きが無視できないことに気づくんだよね。

 

このカンジダ種の酵母は人間の常在菌として知られていて、時に感染症の原因になる。そいつらがぬか床のなかで重要な役割を果たしているんだ。断言はできないんだけど、人間の常在菌と同じ種類のカンジダ酵母もいるので、素手でかき混ぜる時にぬか床に棲みつくヤツもいると思われる。

 

 

ぬか床がダメになる原因は…?

 

ちなみのこのカンジダ酵母、ぬか漬けフレーバーを生み出す原因になると同時に、ぬか床の手入れを怠った時に発生する「やっちまった臭(セメダイン臭)」の原因にもなるようだ。

 

この酵母たちは空気のない状態では発酵して風味をつくってくれるのだが、空気のある状態に放置すると酸素呼吸をはじめてヤバめの臭いを出すようになる。だから「毎日かきまぜる」というメンテナンスの意味は、ぬか床の表面で呼吸している微生物を床の中に沈めて動きを抑えるということなんだね。

 

他にもぬか床がダメになる原因がある。

例えば、定期的にぬかを足さないと野菜から出る水分が床のなかに溜まって水っぽくなると微生物のバランスが崩れる。あるいは定期的に塩を足さないと野菜が塩分を吸収してしまい、腐敗を引き起こす雑菌が増えてしまう。

 

だから毎日かきまぜる、定期的に糠と塩を足すというメンテナンスが必須なんだね。

 

もうひとつ。ぬか床が熟成していくプロセスにおいて温度も重要になる。特に酵母が増えていくためには20℃〜30℃弱が望ましい。伝統的にぬか床を始める時期は春〜初秋にかけての温暖な時期がナイス!とされてきたけど、そこにはちゃんと科学的な意味があったんだね。

 

それでは最後にぬか漬けの味について。

ぬか漬けは方法論としてはザワークラウトのような薄めの塩漬けに似ているのだが、酸味主体のザワークラウトに比べて、酸味が複雑で旨味や若干の苦味も感じる。そして圧倒的に違うのが香り成分で、これは前述の酵母たちの関与が大きい。

 

ぬか床は関与している微生物や発酵成分がめちゃくちゃ複雑なので、結果的に「家ごとにぬか漬けの味が違う」という多様性を生み出すことになる。この多様性が面白いからこそ、割と面倒くさいぬか漬けカルチャーが現代まで生き延びてきたんだね。

 

この記事を見て興味を持ったそこのアナタはさっそくMYぬか床を育ててみてもいいかもしれないよ。自分で育てるとだんだんペットのように可愛くなってくるものです。

 

それではごきげんよう。

 

【追記】今回の記事は僕の経験則と複数の科学論文の研究を組み合わせて自分なりにぬか床とは何かをまとめたもの。あまりにも複雑すぎるぬか漬けは、実験を行ったサンプルのぬか床のコンディションによっても実験結果が変わってくるのであくまでひとつの目安として参考にしてください。

実は「これがぬか漬けである」という決定的なモデルはまだできていないんだよね(ていうか一般向けにこうやってプロセスを見える化されたのも初めてかもしれない)。

 

主要な参考文献(他にもたくさんあるけど割愛):

糠床の熟成に関する研究 熟成中の菌叢および糠床成分の変化

今井正武,平野進,饗場美恵子著 日本農芸化学会誌 Vol.57 1983

 

糠みそ床の香気成分の生成に関する微生物の温度の影響

今井正武著 日本食品低温保存学会誌 Vol.21 1995

 

カンジダの菌学

西川朱寶著 真菌誌 Vol48 2007