夏生さえりの「ティファニーで朝食を食べられなかった私たち」

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【第22回】恋の気配と野菜炒め

野菜炒め
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夏生さえり
ライター
出版社勤務を経て、Web業界へ。人の心の動きを描きだすことと、何気ない日常にストーリーを生み出すことが得意。好きなものは、雨とやわらかい言葉とあたたかな紅茶。 著書に『今日は、自分を甘やかす いつもの毎日をちょっと愛せるようになる48のコツ』(ディスカヴァー・トゥエンティワン )はじめ、本連載に書き下ろしを加えたエッセイ集『口説き文句は決めている 』(クラーケン)が2017年8月9日発売予定。

先日、紀伊國屋書店の新宿店さんで『口説き文句は決めている』の発売記念トークイベントをしていたとき「さえりさんの忘れられない食と恋の思い出はなんですか?」と質問があった。

 

(え、またわたしにその質問!)

 

ここまで22回にわたって食と恋の連載をしてきて、さらに書籍でも書き下ろしとして自分の実話を書いてきて、さらにその質問!

 

やはりパッと思いつくのは、連載で書いてきた「失恋した時にステーキ定食を食べたこと」とかで、その他書きおろしで書いた「大好きな人が飲んでいたチャイティー」の話もすぐに頭に浮かぶ。

 

(でもそれはもう執筆してしまったしなぁ、もう他にはないな、何を答えようか…)と考えを巡らせて、なにかエピソードとして面白いものってあったっけ…とか、ビジネスっぽく頭を回転させていたつもりが、いつのまにか「野菜炒めの話かな〜」と話し始めていた。

 

きっとイベント中は、かなり自然に答えたように見えたと思う。けれど実際は自分でも驚いていた。

 

へえ、思い出すの、その話なんだ。と、他人事のように思った。

 

 

***

 

大学2年だったと思う。

 

サークルの新歓にきた1年生の男の子と仲良くなった。彼は犬みたいな、ほにゃっとした顔をしていて、たしか愛媛出身のなまりのある男の子だった。イケメンというよりはかわいい系で、口が大きくて、よく笑って生意気で愉快だった。

 

他にどんな話をしていたのかとか、それ以前に彼の名前の記憶すら怪しいのだが、当時何かのきっかけで彼の家に遊びに行く機会があった。

 

大学からほど近い場所で、住宅街のなかをトコトコと彼についていった覚えがある(たしかその時彼は自転車を押していた)。

 

彼氏と別れたばかりだったわたしは、男の子の家に遊びに行くのは日常茶飯事ですよ〜といった空気を醸し出していたと思う。相手が年下の男の子だからちょっとお姉さんぶりたかったということもあるし、遊び慣れた女の子に憧れていたからかもしれない(今思えばよくわからない憧れだが)。

 

実際は、そのときはじめて「1人暮らしの男の子の家」に1人で遊びに行った(付き合っていた彼は実家暮らしだった)。あくまで仲がいい男の子という認識で邪な心はなかった(たぶん)と思うのだけれど、玄関について靴をもそもそと脱いでいるとき、急に彼を男性として意識して(あれ、まずかったかな?)と妙な汗をかいたのを覚えている。

 

何を話したのか、何のために遊びに行ったのか。

 

全く思い出せないのだけれど、忘れられない瞬間はこのあと訪れる。

 

彼はソファの上で寝転がっていて、わたしはソファを背もたれにして床に座ってくつろいでいた。わたしが首をソファに預けるようにして、上を見上げたときだったと思う。

 

彼が上半身を浮かして上からわたしを見下ろして、顔と顔との距離がわずか数センチ、というところまで迫ってきたのだ。

 

不思議と驚かなかった。「なあに?」とか、答えたと思う。

 

そして彼はこう言った。

 

「先輩、隙ありすぎっすよ。いま僕が襲ったら、どうするんですか?」

 

わたしはすかさず、「そんなことするの?」と聞いて、2人の間に沈黙が流れた。顔と顔の距離、わずか数センチ。

 

「呼吸をとめて1秒、あなた真剣な目をしたから。」

とかいう歌詞が、ぴったりくるような、瞬間。

 

静かに見つめ合っていたが「そんなの、わかんないじゃないですか」と彼は膨れてソファから起き上がった。

 

彼が離れてから、遅れてやってきたように心臓がバクバクッと跳ねた。けれどそれは緊張で息を止めていたからであって、彼に対するものではないことははっきりと理解していた。何かが、ちぐはぐな空間。その瞬間、わたしは別れた彼氏のことを想ったと思う。記憶にはないが、けれど今もし同じような状況になっても、多分その瞬間、わたしは別れた彼を想うだろう。

 

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彼はそのまま玄関からほど近い場所にあるキッチンに向かい、冷蔵庫を開けた。飲み物でも取りに行ったかなと思っていたら、しばらく経つとフライパンの上でジャージャーと何かが焼ける音が聞こえた。

 

そして「はい」と戻ってきた時には、小さなお皿に小さく野菜炒めが盛られていた。肉は入っていなくて、にんじんとキャベツと玉ねぎ(だったと思う)が、炒められすぎてしなしなになっていた。それを一緒にひとつのお皿から食べた。

 

恋の気配だけがその部屋にはあって、恋の予感はそこにはなかった。

 

目を見ないようにしてそそくさと帰った。そこまでの映像を、やたらと覚えている。なぜ、野菜炒めだったんだろう、と夢か何かのように思い出す。

 

ここまで書いていて、その数日後?に他の男の子の家にも遊びに行ったことを思い出した。彼はかなりの遊び人だったけれど、わたしと彼の間にはそういう空気はひとつもなかった。友人としてよくみんなで集まるような仲で、互いに全く意識していなかったと思う。けれど、部屋に入る時にまた同じように(あれ、まずかったかな)と妙な汗をかいた。

 

間接照明と立派な観葉植物が置かれた妙に色気のあるその部屋は、性を感じさせるなにかがたっぷりとあって、居心地が悪かった。

 

ぽつぽつとお互いに自分の恋話とか、進路の話とかをした。そろそろ帰ろうかな、とつぶやくと、なぜか彼も野菜炒めを作ってくれた。それも、同じように肉のない野菜炒めだった。黒を基調とした部屋のなかでちょっと焦げたしなしなの野菜炒めを食べた。

 

ここにもまた、恋の気配だけはあった。予感はなかったけれど。

 

ちぐはぐな空間で食べた野菜炒めたち。結局2人とはキスすらしていない関係だけれど、恋の気配があそこまで漂った以上、純粋に“友達”とは呼べない。だからあの肉のない野菜炒めは、「恋の思い出ごはん」として見事ランクインしている。

 

あまりに些細な瞬間なのに、忘れられない。

 

 

***

 

自分でも忘れていたような些細な出来事も脳内でしっかり息づいていて、知らない間に自分を作っているのだな、などとトークイベントを終えたあとに考えていた。

 

“食と恋”

 

そう聞いてみんなが思い出すそれは、どんなものだろう。いつか聞いてみたい気がする(わたしの母親にきいたその思い出は、『口説き文句は決めている』の“おわりに”にしっかりばっちり書いている)。

 

それにしても、パッと思い出すのが「振られた時の話」と「元カノに嫉妬する話」と「キスもしなかった彼らとの野菜炒めの話」だなんて、わたしはどうしてこうもハッピーな現実と縁がないのだろう…。

 

いつか「食と恋ですか? そうですねぇ、彼氏が作ってくれたパスタかな〜?」とか、気づいたらのろけが口をついて出ているような人生を送りたいものだ。来世でもいいから、さ。

 

 

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