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【第4回】台所は時空が歪みやすい

 

わたしが出会ってきた女性の中に「料理をしていると心が落ち着く」と言う人たちがいる。それに「料理中に考えごとをするのも好きなの」と。わからなくもない。わたしは特に料理好きというわけではないが、好きなものを好きな時につくると、心がスッと満たされる。

 

単調な動作で、包丁とトトトと動かしたり、火を止め、湯を捨て、皿にあげたり。こういう一連の動作が心を落ち着かせるのかもしれない。手順があって、それらをひとつひとつこなした結果、きちんと何かが出来上がるというのは心の衛生に良い。

 

それになぜだか慣れた動作をしている時は、考え事が捗る。すべてが完成した時、頭の中の考えがどこかにきちんと落ち着くようなこともよくある。

 

もうひとつ、常々台所に関してわたしが思っていることがある。台所にいるとなぜか「時空が歪む」ような気がするのだ。わたしはよく時間の感覚が少しねじれたような不思議な感覚に陥った。

 

リビングの電気をつけずに一人静かに台所に立って、簡単に食べられるもの−−ゴールドキウイやアボカド、丸ごとトマト、それに茹でたての豆など−−を作りつつ、たまにそれらを味わいながらぼんやりしていると、なぜか未来の自分と姿がリンクしているような気分になる。

 

未来の自分は誰かの妻になっていて、彼が寝てしまったあとや、彼がなかなか帰ってこない夜に台所に一人で立ち、何かしらの考え事をしているのだ。

 

きっと何年か経っても同じような姿で台所に立っているだろう…とリアリティをもって想像できる。と、同時に「きっとわたしだけじゃなく、多くの女性もいまこうやって過ごしているだろう」となぜだか確信に満ちた気持ちになる。きっとどこかでいま誰かもこんな風に暗いリビングを前にして、料理をしたり何かを頬張ったりしながら考えごとをしているのではないか、と。

 

 

***

 

彼が「ごめん、帰り遅くなる!」とメールをしたとき、すでに女性は料理を作り始めてしまっていて、それどころか、彼の大好きな生姜焼きをこっそり内緒で仕込んでいたところだった。

 

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返信にためらい、何も書かずにホーム画面を押す。「それなら早く言ってよ」と心の中がふいに暗くなる。途中まで切っていた玉ねぎを再び手に持ち、ストン、ストン、と切り落とす目の色が少し暗くなり、沸かしておいた湯がグツグツと音を上げるのと同時にイラつきが湧いてくる。

 

今日は、早く帰ってくるって言ったのに。

 

火を少し弱めてお湯の音が小さくなると、今度は寂しさがこみ上げる。

 

同棲をはじめて嬉しかったこともたくさんあるけれど、戸惑うこともたくさんあった。今みたいにご飯の支度をしている途中で「今日は遅くなる」という連絡が来る時、「仕方ない」と思っていても心が沈む。「あとで食べるから」と彼はなだめるように言うけれど、温めたそれと作りたてのそれは全く違うものだということをきっと彼は考えていない。

 

料理を作るのは好きだけれど、それは美味しく食べてもらう姿を見るのも含めてのことで、献立だって「最近疲れ気味だ」という彼が喜ぶものを考えている。きっとそういうことを何ひとつ彼はわかっていないんだろう。子供の頃、お母さんが作ってくれていた、あのときと同じように捉えているんだろう。

 

後で炒めようとタマネギを皿に乗せ、まな板を先に洗う。

 

泡を立て、まな板の上をすべらせ、サーッと流しながら「突然約束が入ることもあるよね」と少し自分をなだめてみるがダメだった。だって、今日は早く帰ってくるって言った。そのことにはさっきのメールでは触れていなかった。あの約束さえ、忘れちゃってるんじゃないの?

 

イライラと、そのイライラに対する嫌悪感と、寂しさと、その寂しさを肯定する考えとが頭の中で混ざる。

 

視線をチラリと移すと、皿の中でぷっくり膨らんでいる豆が目に入り、「そうだ。この豆を茹でよう」と女性は思いつく。

 

実家の母親が送ってくれたその豆は、「ハッピー」という単語が入っている不思議なネーミングの豆だ。

 

乾燥して丸くなった状態で袋に詰められており、一晩水につけるとぷっくりと膨らむ。それらを塩茹でするときれいな緑色のつやつやほくほくの豆となる。今日はこの豆も茹でようと思い、湯を沸かすのだった。

 

お腹も空いたし、先にこれだけ茹でて食べちゃおう。

 

沸いた湯に豆を入れ、ゴポゴポと湯の音がなり、ぶわっと湧き出るアクを取る。火の加減を調整し、お湯のリズムで揺れる豆を見つめる。

 

湯の音が激しくなる頃には「私だって仕事を早く切り上げて帰ってきたのに」と思い、アクを取る頃には「でもやむをえない事情なのかも」と思い、火の加減を調整する頃には、「こういう時どうしているか、今度同棲をしている友人に聞いてみよう」と考えた。

 

弱火に変え、静かに豆を茹でていると壁にかけた時計の秒針の音が妙に耳に入った。節約のために電気を消したリビングを見つめ、何を考えるでもなくぼんやりしていると、ゴールドキウイを半分に切って立ったままスプーンですくって食べる誰かの姿とリンクした気がした。同時に未来の自分の姿が不意に思い浮かぶ。どこかの台所に10年後も立っていて、彼からのメールを前にリビングを見つめる日があるような気がした。それは、少し孤独を感じているけれど、不幸な姿ではないように思えた。

 

それにしてもゴールドキウイ、最近食べてないな。今度買おう。

 

思考を現実に戻し、豆をひと粒箸でつまむと、ほどよい柔らかさ。火を止め、皿に移し、ひと粒ひと粒「ハッピーになりますように」と唱えながら食べる。美味しい。やっぱり豆も茹でたてが一番美味しい。彼にも茹でたてを食べさせてあげたいと思うのはわたしのわがままなのかな。

 

 

途端、玄関からカチャリと鍵が回る音がした。

 

「ただいま」と彼の声がして、女性は急いで玄関に向かう。

 

「あれ、遅くなるんじゃなかったの?」

「え? だいぶ前に送ったメール見てない? 今日はやっぱり、早く帰ることにしたんだ。約束してたしね」

 

 

***

 

……と、いうのはあくまで創作の話にすぎないけれど、きっとどこかでこういう風に誰かを思いながら料理をしている女性が同じ時間に存在しているのではないか、と思えてくる。そしてそういう人たちとは台所という時空が曖昧な場所で繋がっているのではないか、と思うのだ。

 

台所で一人でいるとき、台所に立っているであろう多くの人達を思い浮かべる。「料理中に考えごとをするのも好きなの」といった女性たちのことや、リンクした気がした未来の自分や、遠い誰かのことを思うと、少し安心する。

 

それがわたしだけに起こる現象なのかどうか、わたしは知らない。いずれにせよ台所は現実の世界をよりよくするために心身共に支えてくれる場所なのではないか、とわたしは思っている。

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