夏生さえりの「ティファニーで朝食を食べられなかった私たち」

12715539_947694491978278_6030449766074658323_n-2

【第6回】「おしゃれなお店」が嬉しい理由

saeri_09_01_main1
12715539_947694491978278_6030449766074658323_n-2
夏生さえり
ライター
出版社勤務を経て、Web業界へ。人の心の動きを描きだすことと、何気ない日常にストーリーを生み出すことが得意。好きなものは、雨とやわらかい言葉とあたたかな紅茶。 著書に『今日は、自分を甘やかす いつもの毎日をちょっと愛せるようになる48のコツ』(ディスカヴァー・トゥエンティワン )はじめ、本連載に書き下ろしを加えたエッセイ集『口説き文句は決めている 』(クラーケン)が2017年8月9日発売予定。

 

先日、街中で男性がこんなことを言っていた。

 

「彼女にするならいつでも自然体で居られることが大事かな。居酒屋ムリとか言われたらムリだわ」

 

一方先日、友人はこんなことを言った。

 

「元カレがね、『俺、おしゃれな店とか緊張するから得意じゃなくて』って、一度も連れて行ってくれなかったの。あれ、結構根に持っているな」

 

ありのままを肯定する歌が流行ったけれど、わたしは言いたい。たまには「ありのまま」じゃなくてもいいじゃない、と。

 

おしゃれなお店に連れて行ってくれなかったと言った彼女は、決して贅沢をするタイプの人間ではない。結局のところ問題は「彼がありのままでいすぎたところにあるのではないか」と思うのだ。

 

時にはこんなシチュエーションがあってもいいではないか。

 

 

***

 

 

朝、目が覚め、2人でソファと床に寝転がって昼のなんてことのないバラエティ番組を見ている時、彼がぽつりと「今日は美味しいご飯をおしゃれなところで食べない?」と言った。

 

付き合ってから1年が経ち、同棲を始めてからはあまり出かけなくなった。普段「動きやすさだけを重視しています」としか言いようのない格好で、家と会社を行き来しているような彼がそんなことを言い出すのは、あまりにも妙だった。現に今だって、腰のゴムが伸びきったスウェットが足の指先まで覆っている。

 

「えっ、なんで?」

「え?だめ?たまにはおしゃれなところでも行こうかなって」

 

変だ変だ変だ。浮気か? 浮気の罪償いにいつもより優しくなる男性は多いというし。そんな考えも頭によぎったけれど、勝手な憶測で彼の気を悪くしてしまうのは嫌だったし、そんなことよりも「おしゃれな店に行こう」と言ってくれたことが嬉しく「いいけど」と素直でない返事をして、その日の予定は決まった。

 

「よーし、それじゃ服を決めないと」と彼は床から勢いよく起き上がった。

「ねえ、おしゃれなお店に行くのはいいけどさ、ドレスコードとかあるんじゃない?」

「うん、そうだろうな…。俺そんなの持ってたっけ…。ドレスコード、スマートカジュアルって書いてある。……スマートカジュアルってなに?」

「し、知らない……」

 

ふたりで「スマートカジュアル」と検索し、描かれた「レストランドレスコードマナー」のイラストを見て「ジーンズはダメだって」「ジャケット羽織ればいいのかな」「この前着てたアレは?」「あぁ、アレならいいかな?」と顔を突き合わせて話し合う。その時間からすでにデートが始まっているようで、2人の心は踊る。

 

いつもより少し長くシャワーを浴びた彼は、最近つけなくなっていたワックスを髪にしっかりもみこみ、緩みきったパーマを見事に復活させた。

 

「見て見て、どう?」

 

と洗面所から顔をのぞかせた彼のゆるいパーマは懐かしくて新鮮で、嬉しさで思わず顔がほころんでしまう。「かっこいい」と素直に告げると、スッと洗面所へと身を隠し「じゃあ、またパーマかけよっかなー」とご機嫌な声が聞こえた。

 

「このシャツとこのシャツ、どっちがいい?」と女の子みたいに彼が聞いてくる。「こっち。アイロンかけるから貸して」とシャツを受け取り、アイロンをかける間じゅう彼はそばに座って動きのひとつひとつを見ていた。

 

「なに?」

「いや、アイロンってこうやってかけるんだなと思って」

「知らなかった?」

「うん。いつもありがと」

 

パキッとした薄いブルーのシャツのボタンを羽織った彼が「ボタンとめて」と甘えてくる。一番上まで止め、ゆっくり視線を上げると彼はふいっと口角をあげ「どう? イケてる?」と聞いてくる。「うん」と再び素直に答えると、彼は下唇を少し噛んで静かにうれしがった。

 

私は、先日女子会のために買った新しい洋服を着て念入りに髪を巻き、ゆっくりと化粧を終えて洗面所から出ると、スマホをいじっていた彼が視線を上げこちらの姿を捉える。

 

「か」

「か?」

「かわ……いい」

 

えへへと微笑むのさえ恥ずかしく、ありがとうと笑うほどの余裕もなく。ソファに座る彼の元まで走り寄り、彼に抱きついて照れが過ぎ去るのを待つ。

 

さえり連載「ティファニーで朝食を食べられなかった私たち」

 

久しぶりに甘くてゆるい空気を存分に味わってから訪れた六本木にあるお店は、料理名が複雑でひとつも覚えられなかった。変わったお皿に乗った変わった料理ひとつひとつに「これどうやって食べるの?」と目を合わせて笑いあったことだけ覚えていたらいいと思う。

 

帰り道、美味しかったねと散々言い合ったあと、「でも明日は卵かけ御飯が食べたいかな」と彼が笑う。

 

「ねえ、どうして急におしゃれなお店に行こうなんて思ったの?」と聞くと、彼はこう答える。

 

「んー、ずっと好きでいてほしいじゃん」

 

その言葉を合図に、いつもより5センチ高い位置で彼にキスをする。

 

 

***

 

 

……結局「ありのまま」でいないことはたしかに「疲れる」ことなのだ。でもだからこそ、ありのままでいることを愛してくれる相手のために、ありのままを少し脱してみる楽しさもあるのではないだろうか?

 

その方法のひとつが「おしゃれなお店での食事」だと思う。わかりやすく、普段と違う体験ができる。たまにはそういう食事もしてみたい。居心地が悪そうに微笑む彼の姿が、みたい。

 

まずはありのままを愛してくれる相手を見つけるのが先決だという声は聞こえなかったことにして、今日はこのあたりで。