夏生さえりの「ティファニーで朝食を食べられなかった私たち」

12715539_947694491978278_6030449766074658323_n-2

【第8回】行きつけのカフェで、秋に似合う恋を

Coffee on table for reading time
12715539_947694491978278_6030449766074658323_n-2
夏生さえり
ライター
ライター。出版社勤務を経て、Web業界へ。人の心の動きを描きだすことと、何気ない日常にストーリーを生み出すことが得意。好きなものは、雨とやわらかい言葉とあたたかな紅茶。

夏が終わってしまった。

夏は恋の季節だと思っているのだけれど、秋だって負けていない。

 

秋には、静かに水面下でじわじわと温まっていくような恋が似合う。それでいて秋風がぶわっと吹いた瞬間に落ち葉が舞い上がる時のように、または秋の天気が一瞬で変わってしまうように、「あっ」と声を漏らすような展開があるといい。

 

こういうことが起こればいいのに、と思っている出会いのシチュエーションに「行きつけのカフェ」がある。

 

カフェで働いている男の人は、エプロンとシャツ姿のせいか清潔感があって落ち着いた人柄に見える。本物の二割増し、いや三割増しで爽やかに見えるあの姿は、控えめに言ってもずるい。そんな彼らが客であるこちらに声をかけてくる、というのが憧れなのだ。

 

けれど、根本的な問題としてわたしには「行きつけのカフェ」というものがない。

 

わたしはどうにも「店員に顔を覚えられる」というシチュエーションが苦手で、店員が「あ、この前も来てくれましたよね」なんて言おうものなら「もう行くのはやめよう」とすら思ってしまって、同じカフェに行き続けることができない。なぜこうも天邪鬼なのか自分でもわからないのだけれど。

 

けれどそれでも「行きつけのカフェ」でこんなシチュエーションが起きればいいのに、とよく思う。

 

 

***

 

「いらっしゃいませ」と声をかけてくれたのはいつもの男性店員だった。

 

目が合うと、「あ」と小さく声を漏らして、いつもどおり優しい笑顔を見せてくれた。明らかに年下、わたしより4〜5歳は若く見える。ゆるくかけられたパーマに、エプロンがよく似合う。指は細く、骨ばっている。

 

「カフェラテください。ホットで」

 

毎回同じものを頼むけれど、毎回きちんと注文する。

 

 

行きつけの店を作るのは苦手だった。

生活パターンを知られることに、嫌悪感を抱くのだ。たとえば「あれ、今日は遅いんですね」とか「先週来なかったですね」とか「あれ、今日はカフェラテじゃないんですか」なんて言われようものならもう二度とその店に行くのはやめよう、と思ってしまう。溢れかえっている人間の一人として何にも気を使わずくつろいだ気持ちで店に行きたいのに、認識されてしまった途端、わたしと彼らは紐付いてしまう。それがひどく息苦しく、苦手だ。

 

その点。このカフェの店員は、「いつものでいいですか」などと馴れ馴れしくしてこない。わたしのことを覚えているらしいこの店員も、決して踏み込んでこない距離感で、心地よく微笑んでくれる。もしも彼が馴れ馴れしく話しかけて来ようものなら、この店に来るのをやめてしまっていたかもしれない。

 

いつも通り「ありがとう」と微笑んでカフェラテを受け取り、いつもの窓際の席につき、持ってきた文庫本を広げる。

 

休日にこのカフェを訪れる機会が増えたのは居心地の良さだけではない。率直に言えば、この男性のことが気になっていた。だいぶ年下のようだし、特に何か強い感情があるわけではなかったけれど、なぜだか気になる。

 

休日に近所のカフェに行くだけなのに、彼に一度「おつかれさまです」と微笑まれてからというもの、服装にやたらと気を使うようになった。どうせ見てるわけないけど、と自分で呆れながらも、先週と違う服を着ようとどこか気にしている自分がいる。

こんなの、「行きつけのカフェ」で「顔を覚えられるのが嫌」なのに、おかしいと自分でも思っている。

 

それでも、本を読むのに飽きて本越しにちらりと彼を覗いて目が合うと、少しうれしかった。彼は小さく会釈をしてくれて、こちらも小さく会釈をし返すのだ。けれどそれ以上のことは何もない。そのままもう4ヶ月が経とうとしていた。

 

その日も不意に本から目を離して文庫本越しに彼を覗いてみたけれど、彼は居なかった。その後何度もレジに目をやったけれど、彼の姿はなく、代わりに背の低い男性がレジに立っていた。

 

 

あれおかしいな、いつもいるのにな……もしかしてシフト変わったのかな……。文庫本を持ったまま本に集中できずにいると、「何読んでるんですか?」と声をかけられた。

 

びっくりして声の方をみると、いつのまにか隣のテーブルを拭きに、彼がすぐ近くまで来ていた。

 

まくられた白いシャツの袖から、細いながらも筋張った腕が見える。テーブルに添えられた手には血管が浮き上がり、首筋に小さなほくろがあるのもはじめて見つけた。それにしても話しかけてくるなんて。

 

「はじめて話しかけられた……」と思わず質問の答えにならない言葉が口をついて出たその瞬間、しまったと思った。あまり彼との距離を近づけたくなかった。パーソナルな答え方をしてしまったことをちょっと悔やんだ。

 

けれどこちらの意図に反して、彼は「いつも声かけたかったんですけど、迷惑かもしれないなって」と言う。その目が少し機嫌をとるような上目遣いであることに、胸がトクンとなる。話しかけられたくないこと、わかってくれていたんだ。

 

近くで見ると、思っていたよりも大人っぽい。再び目が合い、彼がつばをごくりと飲み込む喉が目に入った。

 

 

遠くで「すみません」とお客さんが声をあげて彼を呼んだ。

 

彼は「はい、少々お待ちください」と大きな声で答えると、「僕、行かなくちゃ」と小さく、そして親密な含みをもたせた声で告げてくる。そうか、この彼の、一人称は、僕。

 

「あの、また来週も来てくれますか?」と彼は聞く。飛び跳ねそうな気持ちをぐっとこらえて、努めてよそよそしく「ええ、多分」とよそ行きの笑顔で微笑んでみせたけれど、その笑顔に嬉しさが滲み出てしまったのではないか、と頭の中で邪念がよぎる。

 

「よかった」とふわりと微笑んだ彼は、最後に「あの、これ」とポケットから何かを取り出してわたしの目の前にパタンと置いて、すぐにお客さんの元へと向かった。

 

はじめての会話、血管、首すじ、話しかけたかった、僕行かなくちゃ、来週も来てくれますか……。何かの音がうるさい、と思ったら、自分の心臓の音だった。

 

それに先ほどから、あるものから目が離れない。

 

机の上には、LINEのIDがかかれた紙のコースターが置かれていた。今時珍しく、電話番号も添えられていた。「ずっと気になっていました」という言葉付きで。

 

それを置いていった彼の手が震えていたことが、やたらと印象に残った。コースターに手を伸ばせないでいる。自分の手も同じように震えていることを知っていたから。

 

店員に顔を覚えられるのは嫌いだった。

来週、会いに来るべきか。今週いっぱいずっと頭を悩ませることになりそうだ。

 

 

***

 

……と、こんな風に秋の天気のような急な展開に揺さぶられてみたい。今までの自分では起こりえなかった展開と選択肢に戸惑い、浮き立ち、それでもあくまで表面的には静かに、恋を進めてみたい。

 

そろそろイチョウの落ち葉が風に吹かれて舞い上がる時季がくる。秋に似合う恋が、今年こそ訪れたらいいのだけれど。