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小倉ヒラクの「手前みそTIMES」

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【第41回】捕鯨一族の執念の漬物、松浦漬。

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小倉ヒラク
発酵デザイナー
「見えない発酵菌たちのはたらきを、デザインを通して見えるようにする」ことを目指し、東京農業大学の醸造学科研究生として発酵を学びつつ、全国各地の醸造家たちと商品開発や絵本・アニメの制作やワークショップをおこなっている。『てまえみそのうた』でグッドデザイン賞2014受賞。自由大学や桜美林大学等の一般向け講座で、発酵学の講師も務めている。2015年より新作絵本『おうちでかんたんこうじづくり』とともに、「こうじづくり講座」を全国で展開中。

味噌汁飲んでますか?発酵デザイナーの小倉ヒラクです。

こないだ僕の母方の実家の近く、佐賀県呼子の港町に行ってきました。

 

東京で生まれた虚弱児だった僕は、毎年夏になると佐賀の玄界灘の港にある家に預けられ、漁師のおじいちゃんと一緒に釣りに行ったり親類の元気な九州の子どもたちと海や山を走り回ったりして虚弱な身体を鍛えておりました。

(余談ですけど戦前は海外へ遠洋漁業に出ていたおじいちゃんは先進的な考えの持ち主で、野遊びの合間に僕にスパルタで数学パズルを解かせて「学問をちゃんとやらないとダメだぞお」と力説しているような人でした)

 

でね。

呼子には何しに行ったかというと、松浦漬なる謎の発酵珍味の現場を訪ねに行ったのさ。

 

 

松浦漬=鯨の上顎の軟骨の酒粕漬け

 

九州では知る人ぞ知る珍味、松浦漬。

呼子にある松浦漬本舗が125年ほど前につくり始めた発酵食品です。

(現在でも松浦漬を販売しているのは1社のみ)

 

世界各国をまわって発酵食品を食べまくっているヒラクですが、いやあ驚いたこの松浦漬。なんと、鯨の上顎の軟骨を酒粕漬けにするという今まで聞いたことのないテクで醸された発酵ブツだったんだよね。

 

お店の人に聞いてみたところ、この軟骨はほとんど味がないのだけれど、食感はプリプリと歯ごたえがあるので漬物にしてみたら美味しいのではないか…という「なんとかして鯨をたべ尽くしたい!」という執念から生まれたものだそう。

 

軟骨を油抜きして細かく刻んでから、踏み固めて空気を抜いてしばらく熟成させた酒粕に、唐辛子や糖類、塩などで味付けした床に漬ける。そこから数ヶ月ほど寝かせていきます(詳しい製法は門外不出ということで謎!)。

 

酒粕のドロっとしたペーストが絡んだ、一見するとイカの刺し身ような白い物体。口に入れてみると、

 

「おお…!この触感は…クラゲ!?」

 

という食感。漬け床の甘味や辛味、酒粕特有のあのかぐわしい香りとコクがクラゲ状ナンコツを噛みしめるごとに押し寄せてくるというなんともユニークな味わいだコレ!

 

そういえばこの味、僕が佐賀に通っていた時にたまに食べていたなあ…と記憶が蘇ってきました。ご飯にかけて食べれば無限おかわりができるし、お茶漬けの具にするのも最高でした。

 

そしてオトナになった今、どう考えても酒の肴にしたい欲望が抑えられない…!佐賀の名だたる銘酒を利き酒しながら松浦漬をチビチビ食べたらさぞかしデリシャスだろうよ。

 

 

捕鯨の文化から生まれた発酵の文化

 

お店を出てから、町の名所を巡って呼子の歴史を調べてみました。

すると興味深いエピソードがたくさん出てきたのですね。

 

現在は「イカの町」として有名な呼子ですが、その前は「鯨の町」だったんですね。江戸から明治にかけて、北九州有数の捕鯨地でした。

 

この地には「松尾組」と呼ばれる捕鯨組合があり、松浦漬をつくった呼子の名家、山下家はその捕鯨組合と深いつながりがありました(たぶん組合の有力パトロンだった)。

 

今では環境問題や倫理的な問題があり、なかなか厳しい状況におかれている捕鯨の文化ですが、中世〜近世にかけては農業資源の少ない海の人々の暮らしを支える大事な産業であり、信仰や風俗にも大きな影響を与えてきました。

 

…というカタい話は置いておくとして。

当時の写真や資料を見てみると。30mぐらいありそうな超巨大な鯨が浜にドーン!と釣り上げられるとだな、それはもうものすごい祭りになったのだろうと推測されるわけで。

 

食用の肉としてはもちろん、当時は工業用の燃料などにも重宝されたらしく、鯨は港に富をもたらす巨大な宝物だったのですよ。

 

そんなわけで。めちゃ儲かる捕鯨産業、江戸から明治にかけての最盛期にはそれこそ西日本中から出稼ぎの漁師が来ていたそうです。

 

小さい頃に呼子で遊んでいたら、町角に遊郭の名残があったりして「イカってそんなに儲かるの?」と疑問だったのですが、イカじゃなくて鯨だったんだね、儲かるのは。

 

そんな貴重な宝物である鯨の全てをいかに活用するか?普通に考えたら食べられそうにない軟骨部分を、かつて山下家の屋敷のすぐ隣にあった酒蔵の酒粕に漬けて食べられるようにしてしまおう!という流れで生まれていったのが松浦漬だったんですね。いやあ、食に歴史ありですなあ。

 

近代化とともに捕鯨の文化は衰退していきましたが、なんとか生き延びた松浦漬の文化。呼子の町のルーツを保存している「発酵遺産」なわけですね。

 

最後に後日談。

そういえば僕の母の旧姓、山下だったよな…と思い当たって、母に電話してみたところ、

 

「そうそう。私のおじいちゃんはね、呼子港の山下家から養子に出されてウチの村(波戸)に来たみたいなの。だから呼子の山下家はウチの本家にあたるのよ。聞いた話ではね、捕鯨が下火になったからウチの村で普通の漁業に切り替えたらしいんだけど…」

 

とのことでした。

えっ!? つまり松浦漬の一族って、僕の遠い親戚ってこと!?

 

発酵文化を探しにきたら、なんと自分のルーツも見つかってしまった…!

それではごきげんよう