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夏生さえりの「ティファニーで朝食を食べられなかった私たち」

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【第28回】穏やかな告白

桜
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夏生さえり
ライター
出版社勤務を経て、Web業界へ。人の心の動きを描きだすことと、何気ない日常にストーリーを生み出すことが得意。好きなものは、雨とやわらかい言葉とあたたかな紅茶。 著書に『今日は、自分を甘やかす いつもの毎日をちょっと愛せるようになる48のコツ』(ディスカヴァー・トゥエンティワン )はじめ、本連載に書き下ろしを加えた22篇のエッセイ集『口説き文句は決めている 』(kraken)が好評発売中!

すっかり、春になった。

 

わたしは寒いのがとても苦手で、冬の間はとにかく堪えしのんでいるような状況なので、春がくると本当に本当に幸せな気持ちになる。桜が開花する頃、つま先のほうにもやっと元気が湧いてきて、心もふんわり軽くなる。

 

この、春の嬉しさ、万能感。やっぱり春っていいな。

 

最近はストレスフリーな生活のおかげで、妄想する機会がだいぶ減ってしまったのだけれど(ストレスのせいだったの?という声はさておき)、暖かい日差しの中を散歩しているとほわほわとあたたかな気持ちになって、世界中にある恋のことを妄想してしまう。

 

ああいう恋があるかもしれない、こういう恋もあるかもしれない、と。

 

少し話はそれるけれど、わたしは常々「恋ってすばらしい!」と思っている。恋の素晴らしさはやっぱり「世界が膨らむような感覚」にあるような気がする(もちろん他にもある。たとえば自分が自分でなくなるような感覚とか)。

 

好きな人ができた途端、自分の生活以外に「彼の生活」にも思いをはせるようになるし、生活のなかで今まで気にも留めなかった彼の好きな食、彼の好きなものが目に入るようになる。

 

「今なにしてるかな」
「これ、好きそう」

 

その人を好きになる前は一度も思わなかったことなのに、彼にまつわるいろいろなことが意図しなくても目に入る。こんなのは紛れもなく、世界が膨らんだ証拠だ。

 

逆も、そう。たとえば、こちらが教えた花の名前を覚えてくれて、「ルリマツリを見つけた」とか、「ハナミズキが家の前にあった」とか、言ってくれる。

 

「あの曲聴いてみたよ」とか「水辺のカフェを見つけた」とか。遠くにいてもこちらが言ったことを覚えておいてくれて、それを伝えてくれるとき。彼の世界の中に(錯覚だとしても)棲みつくことができた気がして、心底嬉しくなる。

 

ひとりきりで完結していた世界が、これだけで十分だと思っていた世界が、豊かになってようやく「あ、こんな幸せがあるんだ」と気づく。こういう風に世界が膨らむ喜びを、わたしは愛している。

 

きっとどこかで、誰かの世界が恋によって今日も膨らんでいる。それを思うだけで、ほんのわずかに優しい気持ちになれるのは、わたしだけだろうか?

 

 

***

 

 

さて。
 

春に恋がはじまるなら、どんなはじまり方がいいだろう? わたしは桜の花びらを見つめながら、思考を現実から離していく。

 

そうだな、やっぱり桜を見に行って、その場で始まってほしい。花びらが舞い散るときのように、とにかくゆっくりしっとり、奥ゆかしくはじまるような。あの淡いピンク色に似た、ぼわっとしたはじまり。

 

たとえば、待ち合わせは夜。

 

思いを寄せ合っているのがなんとなくわかっているのに、一歩踏み込めなかった年上の男性と食事に行く。

 

何度も何度も食事をしても、彼は踏み込んでこない。手をつなぐチャンスがたくさんあるのにつながないし、肩を抱くタイミングがあっても抱かない。かといって、こちらもまた、勢いで踏み込むほど不用心ではなく。

 

けれどゆっくり、ゆっくりふたりの距離は縮んでいる、確実に。

 

そういう恋が、ついに始まりを迎えるのが、桜が散るこの時期だ。

 

葉桜に変わろうとしている川沿いで、ついに告白をする。

 

 

「困っているんです」
 

「なにに?」
 

「好きになってしまったみたいで」
 

「え」
 

「ずっと前から、なんですけどね」

 

なんでもないことのように、さりげなく話す。すると、彼はこう返してくれる。

 

「困ることなんて、ないですよ」
 

「え」
 

「僕も、好きなので」

 

しばらくはその意味がのみこめず、ひら…ひら…と彼の後ろに落ちていく桜ばかりが目に入る。(あぁ、桜きれいだな)なんて思って、一息おいてからやっと、その言葉の意味に気づくのだ。

 

「えっと、それはどういう…」

 

「…そういうことです」

 

ぱち、ぱち、ぱちぱち、ぱちぱちぱちと瞬きを繰り返す。驚いたからではない。この光景をしっかりと焼き付けておきたいと思ったから。なのに彼は、「まばたき早いですね」なんて関係のないことを言って笑わせてくる。

 

そうしてふたりは、ずっと前からそうしていたかのように、ふわりと手をつなぐ。手のひらと手のひらが触れ合ったとき、(ずっと前からこの手を知っていた)と、なぜか思った。と、同時に確信する。きっとこの先も、何度も何度もこのぬくもりと共に、ここを通るだろう……と。

 

 

***

 

と、こういうゆったりしたやつ! いいなぁ。こんな大人な始まり方。

 

 

わたしはわりと勢いで迫ってしまうほうだし、何事もはっきりしたがるほうなので、こんな穏やかな始まりは一度も体験したことがないけれど、春の陽気ならこんなはじまりがいい。

 

それにしても、「膨らむ」という点で、恋は春に似ている。いや、春が恋に似ている? どちらでもいいか。

 

どこかで誰かの恋が、こんな風に穏やかにはじまっていますように。

 

 

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