夏生さえりの「ティファニーで朝食を食べられなかった私たち」

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【第30回】別れる勇気

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夏生さえり
ライター
出版社勤務を経て、Web業界へ。人の心の動きを描きだすことと、何気ない日常にストーリーを生み出すことが得意。好きなものは、雨とやわらかい言葉とあたたかな紅茶。 著書に『今日は、自分を甘やかす いつもの毎日をちょっと愛せるようになる48のコツ』(ディスカヴァー・トゥエンティワン )はじめ、本連載に書き下ろしを加えた22篇のエッセイ集『口説き文句は決めている 』(kraken)が好評発売中!

誰かに愛されるのも、誰かを愛するのも、同じくらい勇気がいることだ……と最近よく思う。

 

ひとりの人にしっかり向き合うのは、体力がいる。思わぬことで傷つけてしまったり、簡単に傷ついたりもするから。

 

そもそも、互いがしっかりと向き合えるようになるだけでも、かなり奇跡的なことだ。大体の場合、人は楽な方向へと流されていく。惰性で関係を続けたり、愛のない時間を過ごしたり。

 

それを悪いことだ、と断言することはわたしにはできない。何がしあわせかなんて、その人にしかわからないのだし。

 

でも、それでも。

 

大事な友達であればあるほど、「しあわせ」とやらについて、なにか言いたくなる気持ちも許してほしい。

 

 

***

 

先日、女友達に会った。大学の同級生で、当時はよく遊んでいたものの、社会人になってからあんまり連絡を取らなくなってしまったうちのひとり。会ったのは、じつに2年ぶりだ。

 

2年前は、どんな話をしたのだっけ。
2年前は、わたしはどういう状況だったっけ。

 

思い出しながら、地下にあるスペイン料理屋へと向かう。

 

トントンと長い長い階段を降りていると、まるで時間が遡るような不思議な感覚に陥った。時を封じ込めたような重たい木の扉を開くと、風がふっと抜けていく。

 

「お待ち合わせですか?」という声と同時に、カウンターの一角に座っていた友人が「やほ」と手を挙げた。ひとつに結った髪の毛も、服装も、不思議なくらい変わっていなかった。本当に時が戻ったのか、と思うくらいに。

 

「自家製サングリアください」
「わたしも同じものを」

 

カチンとグラスを鳴らすころには、2年の空白をすっかり埋めたようになっていた。女友達は、いい。時に会えなくなっても、会えばすぐに元通りになれる。サングリアをぐいっと煽ると、フルーツの酸味がツンとぬけた。きっと、今日は酔ってしまうだろう。

 

「最近どう?仕事は前と同じの続けてる?彼氏はいる?ていうか、どこ住んでるの?」

 

ブラックオリーブをつまみながら立て続けに質問をすると、質問攻めがツボに入ったのか、友人はげらげらと笑った。わたしもつられて、少し笑う。

 

仕事や恋の話をひとしきり聞いてわかったのだけれど、結婚間近の彼氏がいるのだという。

 

 

「どんな人?」

 

マッシュルームのアヒージョがぐらぐらと音を立てながら目の前に置かれる。オリーブオイルとガーリックの匂いがふわっとあがってくる。こういう風に美味しい食事を前に、恋の話をいつまでできるだろう。いつまで聞くんだろう、いつまで話すんだろう。わたしたちはいつまで、女子でいられるのだろう。なんとなくそんなことを考えていたら、友人が口を開いた。

 

 

「んー、普通の人。毎日、イライラしてる。あんま好きじゃないんだよね」

 

「え、なにそれ」

 

「なんだろね?」

 

「なんで結婚するの?」

 

「結婚して、って言われたから」

 

「…なんで付き合ってるの?」

 

「付き合って、って言われたから」

 

 

当然わたしは口をつぐむしかなかった。「それでいいの?」と思わず聞きそうになる。相手から好かれるのはもちろんしあわせなことなのだけれど、友人はちっとも「しあわせそう」に見えない。

 

どんな恋愛をしていてもいい。
たとえそれが道徳に反することでもいい。
その子がしあわせそうにしていれば…。

 

そう思っているわたしだからこそ、友人の様子が気にかかる。

 

 

「見た目もタイプじゃないし。太ってるし、背も低いし、ブサイクだよ。それに、頭悪いんだよね。話してると、イライラする」

 

「……。えっと…。どこが好きなの?」

 

たっぷり20秒は間があったと思う。わたしがバゲットをちぎって、熱されたオリーブオイルにつけて、口へ運ぶまでずっと、友人は唸り声をあげていた。「うーん」とか「えー?」とか。

 

「強いて言えば、わたしのことをめっちゃ好きでいてくれるところかな?」

 

サングリアが頭の中にぶわりと滲み出たように、くらっとした。ねえ、大丈夫なの、それ。喉元まで出てきたその言葉たちは、もう引き返せるような場所にはない。

 

「イライラするしブサイクだけど、まあ嫌いではないしね。ほんと残念な人だから、なんかわたしが付き合ってあげないと“かわいそう”な気もしてさぁ。それに繰り返すけど、わたしのことめっちゃ好きでいてくれるし、それを思えば“我慢”できる」

 

ちがう。こんな子じゃなかったんだ。もっと、もっと、好きな人ができると目をキラキラさせて写真を見せてくるような人だったんだ。これが結婚を目前にした「現実」なのだというのなら、あまりにも悲しすぎる。

 

「うーん、あのさ、」

 

思わず、かぶせるように話し始めてしまう。

 

「思うんだけど、あなたを好きでいてくれる人なんてたくさんいるよ。それに、彼がどれだけブサイクなのか知らないけど、そんな彼のことを好きで好きで仕方ない!っていう人が世界のどこかにはいるかもしれないんだから、手放してあげてよ。価値を決めるのは一緒にいる人なのだし、彼の価値をもっと高めてくれる人が他にいるかもしれないじゃん」

 

一息に言ったけれど、言いながらすでに後悔していた。言いすぎた、と思ったから。でも本音だった。

 

結婚相手は、世界にひとりしかいないのだ。それなら、相手を大事に思い合える同士で一緒になってほしい。少なくとも、手放しで「好き」と言える人と一緒になってほしい。

 

さっと顔をそらしてアヒージョを食べようとするが、皿はもう空になっていた。手持ち無沙汰のフォークで、オリーブオイルをかき混ぜる。彼女は、タバコの煙をしっかりと吐き出してから、予想に反してあははと笑って「たしかに、そうかも〜」と言い、それ以上は何も言わなかった。

 

「あなたが悪いわけでも彼が悪いわけでもなく、人にはいるべき場所があるんじゃないかって思うんだよ。やっぱり好きでいてくれるだけじゃなくて、好きになれる人と結婚してほしいよ。両方満たしてよ。妥協とか、しないでよ」

 

酔っていたのかもしれない。

 

普段あまり自分の価値観を押し付けたりしないのに、いや、しないように気をつけているのに、この時ばかりはハッキリキッパリと言ってしまった。この話をしているとき彼女がどんな顔をしていたのか、ちっとも思い出せない。

 

少しの沈黙があって、わたしは不意に思い立った気持ちを、言葉にする。

 

「でもさ、愛してくれる人を手放すのってつらいよね」

 

彼女の手が、ドラマみたいにピクッと動く。そしてゆっくり、「そうなんだよね」と言う。できるだけ何気無いふうを装っていたけれど、その声にはどこか重みを感じさせた。

 

振られるよりも、振るほうがつらい。

 

大人になって、そんなことを知るようになった。自分のことを好きで居てくれる人を、自分の意思で手放すのは、つらい。一生懸命生きていれば生きているほど、誰かに認めてほしくなるのは当然だし、それが近くにいる人であれば居心地がいいのは当たり前だから。

 

だからその人を自分の意思で手放す時、自分で自分の居心地を悪くしてしまうように感じて不安になる。ひとりになって、再び自分で立たなければいけないことの、怖さ。

 

でもバランスの悪さはいずれ不協和音へと変わっていく。愛されるだけでは、徐々に慢心へと変わっていってしまう。残るのは、イライラと我慢と不満。

 

わかっていても踏み出せない。そのことは、わたしにもよくわかった。

 

「でも、今の彼以上に、わたしを好きになってくれる人なんているかな?」

 

友人が聞き、わたしは答える。

 

「いる。断言する。世界のどこかに、あなたが愛したくなる人がいて、その人もあなたを愛してくれるという奇跡的な出会いが待っていると思う。信じなければ叶うこともないから、わたしは信じてる。失恋した日も、どれだけ悲しいことがあった日も、わたしはそれを信じていた。今だって、信じ続けている。それがたとえ、子供っぽい発想だと言われても」

 

友人は、俯いて、うんうんと頷いていた。今になって、どうして2年ぶりに友人が声をかけてきたのか、少しわかったような気がした。

 

帰る頃には混雑していたはずの店内には誰もいなくなっていた。そのことにさえ、ふたりとも気づかなかったのだから相当に酔っ払っていたのだろう。

 

お会計までは上機嫌になっていたけれど、地下から長い長い階段を上る間は、ふたりとも口をつぐんでいた。地下鉄に乗るころには酔いが冷め始めていて、さっきまでの出来事が夢のように思えた。

 

地下鉄で、すごく昔に言われた「愛する人に出会えるのって、奇跡なんだよ。それだけで俺は幸せだよ」という言葉を思い出した。あのとき、ひどく感動したっけな。

 

でも、わたしはやっぱり。あなたも愛して、あなたも愛されてほしいんだよ。

 

 

***

 

スペイン料理店から帰って、2週間くらいがたったころだろうか。月曜日の朝、彼女からメールが届いた。そこにはこう書きつけられていた。

 

「別れた」

 

わたしは「えらい」と3文字だけ打って、画面を閉じる。

 

カーテンを開けると、悲しいくらい晴れていた。

 

愛してくれる人を失った痛みを思い出し、友人の勇気を思った。サングリアのツンとした酸味の匂いが記憶の中で蘇る。きっとこれから、友人はもっとしあわせになれる。そう確信している。にもかかわらず、わたしはすっかり、泣きそうになっていた。

 

互いがしっかりと向き合えるようになる。
それがどれだけ奇跡的なことか。

 

そのことをもう一度だけ思った。

 

 

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