seroli セロリ

山崎まさよしの名曲「セロリ」の歌詞にのせて綴る恋のエッセイ

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「夏がだめだったり セロリが好きだったりするのね〜♪」

 

セロリと聞くと、野菜よりも先にこのフレーズが頭に浮かぶ人もいるのではないでしょうか。山崎まさよしさんのヒット曲「セロリ」。その後SMAPがカバーしたことでも話題になりました。今ではお馴染みとなった曲名ですが、「なぜ、セロリ?」と思った人もいるのでは?

 

名曲「セロリ」は野菜の味と同じように、“ちょっぴり苦い大人の恋”を歌った曲なのではないかと思うのです。今回はエッセイストの中前結花さんが、「セロリ」の歌詞になぞらえて、「先輩」とのある思い出を語ってくれました。

 

<profile>

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■中前結花さん

兵庫県生まれ。エッセイスト、ライター。 “つくる”の価値を届けるメディア「minneとものづくりと」編集長。ものづくりに関わる、人や現場を取材するインタビュー記事やこれまでの人生や暮らしの「ちょっとしたこと」を振り返るエッセイを執筆。webメディア「DRESS」での連載『いつもJ-POPを聴いていた』では、J-POPになぞられたエッセイを執筆し、人気を集めた。

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夏がだめだったり、セロリが好きだったり。

 

“「育ってきた環境が違うから 好き嫌いはイナメナイ

夏がだめだったり セロリが好きだったりするのね

ましてや男と女だから すれちがいはしょうがない

妥協してみたり 多くを求めたり なっちゃうね」“

――山崎まさよし「セロリ」

 

 

よく行くお店の惣菜売り場。

青々としたホウレン草や、赤・黄のパプリカのサラダが並ぶ陳列棚のその隅に、「セロリのオリーブオイル漬け」はいつもひっそりと置かれている。

だけど決して「追いやられている」ような印象はない。

「お好きなら、食べればいいわ」とソッポを向いているような、あるいは自分のことをよく知ったうえでわきまえているような、そんな凛とした佇まいだ。

 

ここに来るたび、あの「育ってきた環境が違うからーー」という歌い出しがふっと浮かび、「好き嫌いはイナメナイものなあ」と、わたしは思う。

 

かつて、山崎まさよしが詞と曲を手がけて発表し、翌年の1997年、SMAPがカバーする形で世に広く知られたヒット曲『セロリ』の一節だ。

 

印象深いのは、最終回まであと数回の放送を残すだけとなった『笑っていいとも!』で、香取慎吾が「SMAPの曲でなにが好きですか?」と聞いたとき、タモリが「セロリ」と即答したことだ。

 

そのときすでにSMAPは、50曲以上のシングルを出していたというのに。

「あれを、SMAPが歌うっていうのがすごい」

とだけ評したその様子を見ながら、わたしはなんだか不思議だった。

もちろん「いい曲だものねえ」と共感しながらも、どちらかと言えばカジュアルなナンバーだっただけに、「どう、すごいのだろうか」と考えをめぐらせてみたけれど、そのときのわたしにはいまいちよくわからなかったのだ。

 

それが、ほんの少しわかる気がするのは、ここ数年の話である。

 

 

ある年の暮れ、お世話になっていた先輩から「引っ越したから、ごはんを食べにおいで」と誘われた。

よくよく聞けば、「結婚したのよ」と言うから驚いてしまう。

 

「あれ!ああ、そうですか。行きます行きます!」と返事しながらも、どこにも舞い上がっている様子のない先輩を不思議に思う。

だけど、わざわざめずらしく電話で伝えるなんて、やはり幸せでいっぱいに違いない、と思い直して電話を切った。

 

なんだか気分が良くなり、お祝いは何を渡そうかと考えたところで、しまった、「おめでとうございます」と自分は言っただろうか、と振り返ったけれど、そういったことを変に心配する必要がないのも、この先輩のいいところだった。

 

夫婦の新居は学生街の近くにあって、駅からぶらぶらと歩いている最中、「なんでもあるし、住みやすいのよ」とおしえてくれる。

旦那さんは、土曜日も仕事があるらしく、スーパーで食品を揃えて一緒に夕飯をつくりながら帰宅を待つことにした。

買い物袋を下げて部屋に上がると、「新居」のにおいがする。赤いアイアンのソファテーブルがかわいくて、いいなと思った。

「広いじゃないですか」と言うと、「広くないと、人と住むなんて無理だもん」と先輩は笑う。

「そうか…」と見合わせて頷く。狭い部屋で恋人と窮屈に暮らす辛さは、お互いによく知っていたのだ。

キッチンに並びながら「何年か前も一緒にお鍋の準備をしましたね」と言うと、「ああ」と苦々しい笑みが返ってくる。

 

***

 

数年前の先輩は、あきらかに無理をしていた。

趣味でもなさそうな音楽フェスに出かけ、見たことのないスポーティーな装いで、当時の恋人と写真に収まるのを、その頃わたしはSNSでよく見かけた。

ドラマの話はあまりしなくなり、あんなに愛おしそうにしていた猫のことも忘れてしまったのか、実家にも足が遠のいていたらしい。

サッカーだかラグビーだかのユニフォームを彼と揃いで買った、と言われた日には仰天した。

「スポーツなんて好きじゃないでしょう」と言うと、「そうだったんだけどね、」とそれ以上の言葉は特に続かない。

 

「こんな人だったかなあ」とわたしはすこし寂しく思った。

もちろんサッカーを応援することは問題じゃない。ただ、「好きなもの」に特別こだわりの強い人で、「ここがいいのよ」と頬を上気させながら話してくれる姿が好きだったのだ。

 

その年の暮れ、何人かで飲んだ帰り道、先輩は「帰りたくないなあ」と言った。

「喧嘩?」と尋ねると「そうじゃないんだけどね、」と言う。

彼女は、相手のことをとても愛しているようだった。

だけどその反面、その彼に合わせて無理をしている自分を、ハツラツとたのしい仲間たちと比べて、「つまらない」「変わってしまった」と思ったようだ。

そして、白い息を吐きながら「彼氏にも、わたしには自分の意見が無いから『話す甲斐が無い』って言われたんだよね」などと笑う。

わたしはそんな言葉で人からなじられる悲しみを知らない。

だけど、そんなやつに、この女性の可愛さの何がわかるのかと思った。

「自分でも、前と違うっていうか、変わったのわかるんだよね」と先輩は無理に片目をしかめるようにして、笑っている。

もうお酒の酔いがすっかり冷めてしまったのを自分の頬や鼻で感じながら、「どっちも好きですよ」とわたしが言うと、先輩は新宿駅のホームの上で、うんと静かに泣いていた。

 

***

 

「別れた何日かあとで、泊めてもらったね」

その人とようやく別れて、わたしの部屋に泊まりにきたとき、二人で並んでお鍋の準備をした。キッチンで並ぶのは、今日が、その日以来のことだったのだ。

今日の夕飯は、タジン鍋のようなおもしろい形の鍋でお肉や野菜を蒸すらしい。

 

「箸休めに、ちょっとだけサラダにしよう」

と言って、先輩は切った野菜を少しだけボウルに分けた。ドレッシングやらで和えるとき、

「これも入れちゃうか」

と言って、冷蔵庫でラップをかけていた“何か”もエイッと混ぜてしまう。

「あ…」

今のはセロリでは無かっただろうか、とわたしは思った。

わたしはセロリが食べられない。

だけど、その「思い切りの良さ」には、なんだか憧れと懐かしさのようなものを感じて、ちょっと臭うけれど、「セロリが好きだったりするのねーー」と受けとめることにした。

 

 

 

近ごろじゃ、「絶対に許せないもの」は少なくなってきた気がする。

 

人との「違い」を楽しめるようになってきたのは、いつからだったろうと考える。

うんと若いころは、友人や同僚と自分を比べては焦っていたし、「同じものを同じように愛せる恋人」をずっとずっとさがしてきた。

 

同じ気持ちになりたくて、好きでもない薄暗い外国の医療ドラマを、あくびを重ねながら見ていたこともあったし、「考え方が違う」「生活のサイクルが違う」と言っては、よく相手を傷つけた。

 

育ってきた環境が違うのに。もともと、どこ吹く他人なのに。

わたしたちはたまに、「愛」や「相性」とは当然そうであるかのように、「全部同じ」をお互いに望んでしまったりするから厄介だ。

無理を強いたり、我慢をしたり。そして、そんなことを繰り返してヘトヘトになったあと、ようやく、「なあんだ、違っている方が便利じゃないか」と気づくときが、やがてわたしにも訪れたりした。

 

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夏がダメなら、夏場はわたしが洗濯物を干してあげればいいのだし、セロリが好きなら、苦手なセロリは食べてもらえばいい。

できないことを手伝ってもらったり、知らないことは教えてあげたり。

そういう日々があるから、時には「これは、譲ってやるか」と思えたりもする。

そのとき、窮屈さじゃなく、ふうっと自分の中に新しい風が通るように感じたら、それは「好き」ということなんだろうなあ、と、近ごろようやく思えるようになった。

 

譲れない何かさえ違っていなければ、他は一向に構わないのだ。

別々に過ごして、ひとりだって充分に楽しむことができる。

だけど、やるせない夜やひとりじゃ勿体無いような素敵な時間には、たっぷりふたりで寄り添えばいい。

『セロリ』とは、そういう、酸いも甘いもちょっぴり臭いも噛み分けた、“大人の歌”だ。

 

頑張ったりするのは「少しだけ」「やれるだけ」でいいと、おしえてくれる。

山崎まさよしがアコースティック1本で作り上げた、そんなちょっと苦味のある大人の歌を、思えばSMAPというグループは、当時20歳やそこそこで歌っていたことになる。

キラキラのアイドルが、ダンスも踊らず、ギターの音色に体を揺らせながら、モノクロのミュージックビデオの中で「価値観はイナメナイ」と歌っていた。

その組み合わせのおもしろさ。

そんなコントラストが、この曲をSMAPにとっても、山崎まさよしにとっても、特別な1曲にしたのかもしれない。

時を超え、「なるほどなあ」と今になって思うのだった。

 

無理なく違和感を楽しめるのがいい。

そんなあれこれに気づくのに、わたしはとてもとても時間がかかってしまった。

それはもちろん、隣に立つこの先輩も。

 

 

19:00も過ぎた頃、旦那さんは帰ってきた。

挨拶をして、この数時間のことを一通り話したあと、3人でおいしく蒸し料理を食べた。大柄で人の良さそうな旦那さんは、ぱくぱくと満遍なく肉も野菜も口にしていた。

 

ふたりともお酒に目がなくて、そこが「ちょうどいい」のだという。

部屋の話になり、

「あのテーブルかわいいですね」

と言うと、

「いいでしょう。ずっと欲しかったんだけど、ソファテーブルって飾りみたいで、実際はあんまり使わないかなって。でも引っ越したら、やっぱり欲しくなってー」

と先輩は止まらない。

 

ひとしきり話し終えると、旦那さんは

「ぼくは、あんまりセンスが無くて、よくわからないんだけどー」

と前置きして、

「あれは、なぜか気に入っている」

と幸せそうに言った。すごくすごくいい人だと思った。

 

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「野菜は?」と先輩が世話を焼いて、わたしの方へセロリ入りのサラダを寄せてくる。

仕方なく「いただきます」と言って、なるべくセロリを避けて自分の皿に分け入れた。

だけど、口に入れてみると「あ…」とセロリがすこし混じっていて、それなのに特に気にならなかった。

「わたし、セロリ駄目なんですけど、これは食べられます」

と伝えると、

「嫌いだったんかい。言ってよ(笑)」

と笑っていた。

「今日から好きですよ」

と言うと、肩をパンッとはじかれた。やっぱりこの人、可愛いよなあと思った。

 

先輩が席を立ったとき、旦那さんに

「よくお客さんは来るんですか?」と尋ねると、

「いや、それが、ゆかさんがはじめて」

となにか言いたげな様子で微笑んでいた。先輩は顔が広い人なのに。

その意外な答えに、わたしはなんだか心底嬉しくなって、

「あら、そうですか」

とお肉をたくさん頬張った。ついでにサラダも、もうひと掬いする。意外と食べられるじゃないか、と思ったとき、ふうっと風が吹いた気がした。

 

 

セロリは好き嫌いが別れるけれど。

わたしはこの日から、セロリ が「ちょっと好き」になっている。

 

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コラム執筆/中前結花

イラスト/oyasmur